俺#

新潟市でIT業を営むおっさんのブログ。

スポーツ観戦における人間の思考の考察

あー、目が冴えちゃったよ。眠れんので独り言。

俺はサッカーは全く見ない。見てもなーんも面白いと感じないし、なんでワールドカップであんな馬鹿騒ぎが起きるのかさっぱり判らない。まぁ、判らなくても困る事はないのでワールドカップは心底どうでもいいと思っているのだが、理屈が判らないというのはムカツクではないか。ここはシステム屋として理論的に分析すべきだ。眠れないから。

バスケやサッカーは面白くないのに、テニスなどという自分には縁がないスポーツの中継に無意識に見入っていたりする*1。卓球もしかり。まぁ、卓球は昔やっていた事があるので類似するスポーツにも興味をそそられるのか?とも思うが、やはり自分とは縁のない野球も面白い。陸上もサッカーに比べたら面白い。この差はどこからくるのか?

とりあえず、面白くない順にスポーツを適当に挙げてみる。

サッカー<バスケ<バレー<陸上<野球<テニス≒卓球

面白くないスポーツは、全部団体競技だ。卓球やテニスはダブルスもあるが基本は「1対1の勝負」。野球も団体競技だが、実は「投手対打者」の構図がハイライト。陸上は他者との競争でもあるが最終的には「自分との戦い」になる。要するに「サシの勝負」や「自己への挑戦」が面白いと感じる条件らしい。ここで、どんな気持ちで試合を見ていたか思い出してみる。

さっきの中村選手のテニスの試合では、きっかけはともかく中村選手に思い入れて「うわー、アウトかよ〜」とか「よっしゃー」とか呟いていた。気分的には卓球の試合に出ているときに近く、無意識に対戦相手の表情からその精神状態を読み取ろうとしている自分にはちょっと苦笑した。卓球をやっていたのはたかだか数年間なのだが、一度脳に登録された行動パターンというのはなかなか忘れないものらしい。

その昔読売巨人軍に思い入れていた頃、TVの前ではいつも原辰則の打席を今か今かと待ちわびていた。原がバッターボックスに入ったが最後、釘付けになって原と共に投手と対峙していた。ホームランでも打とうものなら大騒ぎだったと記憶している。つまり特定の「選手」に強く感情移入して自分を重ね合わせている、ということらしい。仮想的に自分を勝負の場に置いて「サシの勝負」を楽しんでいるわけだ。

では、サッカーやバスケでそういう楽しみ方ができるかというと、実は全くできないのである。選手は試合場全体の状況を把握しながら、自分がどこに動くのが最適なのかを考えて移動している。仮にある選手に思い入れてみても、その選手から見たフィールドの様子は外から見ても把握できない。ボールも多数の選手がアッチコッチに飛ばしてしまい動きはまず予測できないので、とても仮想的に自分が参加できるような代物ではない。サッカーの面白さは、その試合の雰囲気や勝負の行方を観客として楽しむ事であって、少なくとも自分が「仮想勝負」を体験する事ではなさそうだ。

そう考えると、今現在プロ野球の人気が下火になっている理由が判ってくる。

まず、自分自身が「勝負」を楽しもうという気合のある人間が減っているのではないかと予想される。カジュアルに観客として騒ぎたいという需要が多いのだろう。でなければ、サッカーがこんなに騒がれるはずがない。思えばボーリング場に行っても、あまり真剣にやっている人はいないようだ。昔はグループ内でスコアを競い合って真剣になっている人々を結構見かけた気がするのだが。

次に、いまの日本の野球には、強く感情移入したいような選手が少ない。そういう選手はみんな大リーグに行ってしまったわけだ。そうかといって「雰囲気や勝負の行方を観客として楽しむ」には、プロ野球の試合はあまりにもテンポが悪く盛り上がりに欠ける。かくして、野球を観戦する人口はどんどん減っていった。俺もその一人である。まぁ、たまに試合をみればそこそこ面白いのだが、原辰則の時みたいに釘付けにはならない。

なんだかよくわからんことをウダウダ書いてみたが、結論として俺はサシの勝負みたいなのが好きだと。そして、仮想勝負の体験が不可能なサッカー観戦は楽しめそうもないと。まぁ、サッカー好きな人からはいろいろ反論が出そうだが、あくまで主観ってことで。やっと眠くなった。おやすみ。

*1:セクシーな服に、ではない。念の為。