俺#

新潟市でIT業を営むおっさんのブログ。

「鰻」を食べることは悪なのか? #うなぎ #鰻 #絶滅危惧種

この問題なんだけどもね。

レッドリストに載っている絶滅危惧種を「食べたくない!」「食べられない!」「食べてほしくない!」という感情は理解できるものだ。しかし「拒絶反応もここまでくるとどうなのよ!?」という気持ちになってくる。

というわけで、私が「今までと同じように鰻を食べ続ける」という選択に至った理由を、簡単にまとめておきたい。

まず「絶滅の危機に瀕している原因が判っていない」という点である。遠洋まで出て川に戻ってくる回遊魚であるため、海の変化が要因なのか、川の環境が要因なのか、乱獲が要因なのか、実は良く判っていない。

次に、ここ10年で生活史の解明が大きく進んでおり、まだ商業ベースにのらないながらも完全養殖が実現しているという点。これらの進展には「ウナギが食資源である」ということが大きく寄与しているのは疑いようがない。

シラスウナギを採らないことは、短期的に個体数の増加をもたらすかもしれない。しかし今、鰻を食すことを禁じ、食資源としての価値を奪ったら、食資源であるからこそ行われている研究や対策への投資はなくなるだろう。絶滅のリスクを残したままでだ。

すなわち「気付いたら滅んでいた」他の絶滅種と同じ道を辿りはしないか?誰も鰻を食べ物と思わなくなった遠くて近い未来のある日、絶滅の可能性を報じるニュースが流れるかもしれない。しかし翌日には、多くの人がそのニュースを忘れていくだろう。

鰻が積極的に研究・対策・議論の対象となるのは、それが生活や経済に直結した食資源だからなのだ。そうでなければ鰻にも他の多くの絶滅危惧種と同じ境遇が待っている。並みの保護活動はあるだろうが「食えないものへの投資は限られる」というのが、悲しい現実ではないか。

もう1つ、仮に捕獲や取引を禁止したとして、特に近隣国の足並みがそろうのか、また密漁を防ぎきれるのか、その実効性は疑わしい。現実として需要がある。統計に出ない捕獲が増え、一方で対策は手薄になっていく。「せーので食べるのやめよう!」なんて能天気も良いところだ。

短絡的に「食べない」とする判断が、どのような結果をもたらす危険を孕んでいるか、おわかりいただけただろうか。そのうえで、伝統的な食文化が1つ消滅していくことになるのだから、感情論は抜きとして、是非とも1歩下がった目線で考えてみてほしい。

もちろん、シラスウナギの捕獲が個体数を増やすほうに働くことがないのは間違いなく、無駄にしては良いものではない。今年5月のワシントン条約による取引規制こそ免れたが、多くの時間は残されていない。この状況下において、

「食べる人」

に対する

「食品ロスにならないよう(ウナギを)大事にいただきましょう」

という環境省の呼びかけは、どう考えても至極当然で真っ当なものではないだろうか?

以下は余談である。

(こんなエントリーを上げてる時点でバレバレだと思うが)白状すれば、私自身は生物種としての鰻より、食文化や食資源としての鰻のほうを心配している立場だ。鰻が好きなのである。

「鰻の味=タレの味」と言えてしまう人は、美味しい鰻を食べたことがないか、味が判らないかのどちらかである。万札をもって、白焼きを食べさせるレベルのお店に一度行ってみると良い。

もちろん絶滅しても良いなどと思っている訳ではない。どのような種であっても、生物種が絶滅したら心が痛む。地球の将来や人類の将来が心配になる。当然であろう。

どうすべきなのか迷い、鰻を食べない時期もあったが、結論は先述の通りである。食文化を守り、結果として生物種も守れるのなら、本当に目出度いことなのだ。

なお「食べないほうが良い」と考える人や「食べられない or 食べたくない」という人に「食べるべきだ」などと言う気持ちは全くない。「森を守るために割りばしを使わない人」が居る一方で、「林業を守るために割りばしを使う人」が居る。それで良いのだ。

「うな次郎」のような代替品を否定する気持ちも一切ない。面白く美味しく食べられるものだ。それ自体も、鰻という種を守りたいという願いと創意工夫から生まれた、新たな食文化の1つだと思うのである。