俺#

新潟市でIT業を営むおっさんのブログ。

#熱中症 で #救急搬送 されてしまった時の話。

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新型コロナで大変な時期にやってしまった。しかも越境して出かけた先である。大変申し訳なく、自戒を込めて記録しておく。

面倒を見て頂いた現場に限れば医療の逼迫とは程遠く、お世話になった救急担当の方々も良い意味でほのぼのした雰囲気で余裕が見て取れた事は幸いだった(もちろん処置は超テキパキですよ!念の為)。厄介になる側としては心が楽になった。もちろんお礼はいくら言っても言い足りないのだが。

(年に1回のペースで病院絡みのエントリーを上げてる気がするね。注意力散漫なのか体が弱いのか(苦笑))

要約

熱中症は「暑い→汗だく→喉乾く→頭痛する→倦怠感→足攣ったりする」というように、ある程度の時間をかけて段階を経て悪化していくものだという固定概念があった。休息や補給のタイミングを計る余裕があることを意味するので、「放置さえしなければ搬送には至らない」と思っていた。

ところが、今回はその余裕もなく急に動けなくなり搬送となってしまった。自覚がなく普通に動ける状態から、いきなり動けない状態になったのである。また、体調如何でお年寄りと同様に暑さへの感度が下がった状態になることもあるらしい。これには気をつける必要がある。

前提条件

私の暑さ耐性は世間の平均をかなり下回る。そうと気付くまで「夏は誰もが頭痛になって具合が悪いもの」と思っていた。逆に寒いのは平気なので冬は活発に活動するのだが、夏だって冬と同様フィーバーしたい。というわけで暑い中で活動するコツもそれなりに体得してきて、真夏に自転車で遠乗りすることもある。もちろん何をするにも無理せず対策を怠らないのが基本だが、いざ動き出すと制御が効かない性分でもあり、月に1~2回はダウンする。いつかどこかで熱中症でやらかす予感はあった。

前々日から始まった失敗

夏の暑さにも定評がある、内陸部のある街に1泊しに行く予定であった。妻ちゃんが所要でその2日前から滞在しており、車でお迎えに行くついでにちょっとだけ観光する目論み。片道600kmほど。この季節のイベントなので十分に体力を温存すべきなのだが、連休と一人の時間に浮かれて前々日から前日にかけて暑い中を動き回ってしまったのである。

調子に乗りすぎたと気付いたのは前日の夕方。急速に動けなくなり、頭痛と眩暈と体に熱の籠るいつもの感覚。これは2日間寝込むコース。横になったが後の祭りだった。良く眠れず寝不足にもなってしまう。ただ、車での一人旅はエアコンを勝手気ままに調整できるし、休憩も必要なだけとれる。ゆっくり行けば復活するかもしれない、との思いで予定より早く出発した。

速度控えめ休憩多めで、予定していた時刻を過ぎた頃に到着した。妻ちゃんと合流する。頭痛だけは解消していたので街に出てみたが、暑い中を歩くのが辛くフラフラする状態。事情を説明して呆れられる(妻ちゃんは私の特性を私よりも理解している)。「とりあえず寝て休みなさい!」ということで、宿で食事をとりシャワーを浴びて23:00頃に就寝。

搬送までの経緯

9:00頃に起床。「すごく良く寝た!復活した!マンモスラッキー!」という感想だった。

(この時点で「体の状態」と「感覚」が既に食い違っていたのだと思う。長年の経験が「2日間寝込むコース」だと結論付けていたのだから。)

妻ちゃんは半信半疑。だが私の感覚的には「完全復活!ヨシ!」なのである。食欲もある。予定通り行動することになった。暑さ対策に万全を期して11:00頃に出発。強い日差しながら、日傘のおかげかそれほど暑くなく、汗もかかない。「気温は30℃いかない程度か。まだ午前中だからな。」などと考えながら歩く。市街地を抜けて坂道を登る。途中でかき氷など食す。十分な補水や休憩は実施していた。

そしてとある観光ポイントに向かう、長い階段の下あたりで妻ちゃん停止。冴えわたるシックスセンス

妻ちゃん「ここらで帰ろっか。」
私「なんで?」
妻ちゃん「なんとなく。暑いでしょ。」
私「暑くない!上まで行きたい!!」(←バカ)
妻ちゃん「結構暑いよ?」

結局そのまま頂上まで登り切った。いや、登り切ってしまった、というべきか。一旦停止して景色を眺め、さてここからどう動くかな?と話しながら歩き始めたとき、変な息切れと軽い動悸を感じてマスクを外し深呼吸した。その直後、景色が斜めになりはじめる。「眩暈!」と反射的にしゃがむ。

何度か立ち上がろうとするが、浮遊感があって安定せずまた腰を下ろす。さして暑くもないので「納得できない。。。」と思いつつも、状況的に熱中症以外の原因は思い当たらない。フラフラしながら間近の日陰に移動して座り込む。水分を採り、妻ちゃんが濡らしてきたタオルを頭上で絞って冷やす。定かではないが10分ほどだろうか。静かにしていたが回復しない。

こちらを伺っていた施設の方が心配して来てくれた。塩飴を頂く。少し落ち着いた気がして立ち上がる。浮遊感が残るが直立できたので歩き始める。良かった。降りて休もう。しかし、10歩ばかり進んで先を見据えた時、再びその場で座り込む。さきほどより酷い眩暈。体が安定を求めて地面に手をついたが、鋭利な砂利なのに感触が鈍い。耳が遠くなり、手足が痺れ、吐き気がした。手の震えに気付き、指先を見つめた視野が次第に狭くなる。

「ヤバい」だの「死ぬ」だのは思わなかったが、「この調子では帰れない。困ったな。」とは思った。

妻ちゃんと会話したと思うが内容が思い出せない。傾いた視界に駆けていく彼女の背中が映り、騒動になるのだと思った。気付けば3~4人がかりで脇や首や頭を山盛りの氷で冷やして頂く体制。申し訳ない事に顔を見る余裕がなかった。「氷が豊富にあるんだ。」と思った。頂いたポカリは満足に飲めずじまい。砂利が痛そう、との心遣いで椅子が用意された。補助を受け力を絞り出して座り、背もたれに上半身を預ける。前後から支えられたまま、時間が経過していく。至れり尽くせり。「救急車来るよー。」と聞こえた。

しばらくしてサイレンが聞こえてきた。視線を動かす。目に入った誰かの腕時計が14:20位だったのを覚えている。救急隊が到着。椅子に横付けされたストレッチャーへ、半ば引っ張り上げられる格好で乗り移る。隊員に促されるまま仰向けになると、諦めに近い安心感でスーッと気が遠のいた。周囲への感謝の言葉は声としては出なかった思う。その後、ガラガラガシャンと救急車に搭載され、続いて妻ちゃんが乗り込む...という場面があるはずだが記憶にはない。

次の記憶は、既に走り出していた車が大きく揺れた場面である。吐きそうになって「揺れると出てしまう」という意味の事を言ったが、我ながら呂律が回っていないと思った。エチケット容器をあてがわれて、遠慮しないよう言われる。さらに揺を抑えるため体を腕でホールドしてくれた。非常にがっしりした上腕が印象に残る。私が女性ならば惚れてしまうところ。その腕の向こうに妻ちゃんの姿を確認し、何か言おうとしたが駄目だった。

体温などの指標を伝える会話が飛び交うのを聞きながら、吐き気を抑える努力を続けていた。渋い顔をしていたに違いない。吐いてしまえば楽になるかもしれないが、向かい合って抱えられている状態で申し訳ないという気持ちが勝った。その余裕があるのだから大丈夫だと思うと同時に、耳に入った体温の値が平熱だった事に違和感を覚えた。「熱中症ではないか?何だ?」と考え始めたが、吐き気の波が収まった頃に疲れて目を閉じた気がする。

救命救急での処置

気付いたら病院だった。ベッドに移された直後と推察される状況。何度か名前を呼ばれ返答した。風邪症状の有無を問われ首を横に振る。ライン確保からの採血と輸液、瞳孔確認、手指や胸部へのセンサー類の装着、コロナのPCR検査、体温計測などが同時進行していく。「速い!」という感想。「体温が低いの服がずぶ濡れだからだ。冷やせ言うてもやりすぎやねー。」「お腹だけ毛布かけとこか。」みたいな会話が聞こえた。正面の壁の天井近くに時計を見つけ、目を細めると15:00を回っているようだった。ここで眼鏡が外されていると気付く。

PCR検査の結果が出たら頭部CTを撮る、との説明に無言でうなずく。「血液は〇〇〇(聞き取れなかった)。」「輸液全開にしてー。」みたいな会話が聞こえて、執刀医役の俳優が「輸血を全開にしろ!」と叫ぶ医療ドラマの一場面を連想する。「(何かを)外すからね。」と言われて返事をしたが理解していなかった。恐らくセンサーの類だろう。その後、急に静かになった。キーボードをたたく音だけが響き続ける。左腕に輸液の冷たさを感じた。長いことボーっとしていたと思う。眼を開いていたのか閉じていたのか。

静寂を破る「インセイ!」の声で「ハッ」となった。続けて「CT連絡入れた?」「準備してるからゆっくり来い言うてた。」「あはは。」「担当〇〇ちゃんやねー。」みたいな会話が聞こえた。「良い雰囲気の職場だな。」と思って見回すと、スタッフは美人揃いだ(ボケた視界のマスク+シールド姿だが確信)。ベッドのままCT室に移動すると告げられ、先ほどの声がPCR検査の結果「陰性」と伝えたのだと理解。確かに陽性では院内の移動も制限されよう。その場合どうなったのか?

この時、体調が著明に良くなっていた。余計な考察をし、雑談に応じ、こちらからも話しかける余裕があった。移動中の通路に妻ちゃんが座っていた。手首だけで手を振ると振り返されたが、眼鏡がないので表情までは判らなかった。2度目の眩暈からここまでの間、彼女がどんな顔で何をしていたのか、どんな言葉を発していたのか、ほとんど覚えていない事に気付く。ただ、慌ただしく動いていたであろう事だけは想像できた。

CT室に入った。ベッドからCTへの移動を自力で行い回復アピールしたが、CTの後に吐き気が復活してしまう。撮影中に頭が少し低い状態が継続したり、息を止めたりしたからだろうか。部屋に戻る途中で良くないことが起こりそうになって、慌ててベッドの頭側を上げてもらった。戻った後に、ラインから吐き気止めを静注。完全とはいかないと悟るが、それでも搬送前の状況を考えたら信じられないほどの回復。治療の効果は絶大だった。

戻ったのはERではなく診察室らしき部屋。ベッドの脇に妻ちゃんが案内されてきた。怒るでもなく取り乱すでもなく淡々と物事に対処できる彼女は、感情的で落ち着きのない私とは正反対の存在。正直ホッとする。仕切りを挟んで隣のベッドからドスの利いた男性の声。会話から循環器系を病まれているようす。「また止まりそうになったら頼んますわ。」との発言に対し「間に合うと限らんで。薬飲んでくださいよ。」と半ギレで返す女性の医師 or 看護師。妻ちゃんと目を合わせ苦笑い。

静かになり、しばらくウツラウツラする。ふと輸液の容器を見ると「そろそろ終わるな?」という残量のように見えた(まだ眼鏡がない)。そこへ男性の医師が現れた。コロナ陰性(まず最初にこれが来るのが今時だ)、心電異常なし、頭部CT異常なし、血液検査も奇麗なものだが脱水だった。中程度(II度の意味?)の熱中症の所見、眩暈や痺れなど繰り返すようなら精密検査したほうが良い、という説明だった。

食べられそうになければ糖分を点滴するがどうするか?と問われる。吐き気止めが効いたのか、気分に問題はない。「たぶん食べられます。」と回答。口調と思考が明瞭になった事を意識する。左腕のラインの針を抜いてもらい、薬の処方をもって処置終了。眼鏡をかけてベッドから降りた時、時計は17:30を回っていたと思う。事実上の主担当だった看護師に感謝を伝え、会計を済ます。ゆっくり歩いて屋外に出た時の感想は「あっちぇ!ここ何所だ?」だった。

その後

すぐに馴染みがある駅の間近だと判明。近くのカフェで、この後の行動について話す。「とにかく休む。運転しない。できれば近くで宿泊して欲しい。」というご神託であり、近隣で宿泊する段取りを進める事になった。まぁ、言われなくともお互いに運転する気にもさせる気にもならなかっただろう。確保した宿で食事して就寝。熟睡した。翌朝は全快とはいかないものの(当たり前)日常行動に支障なく、買い物などする。気温は前日より低かったが、普通に暑くて汗もかいた。明るいうちに発ち日付が変わる頃に帰宅。

暑さ耐性の低さを再認識させられた失敗イベント終了。まだまだ炎天下に出ると体が余裕がないと訴えてくる。完調となるには日数を要しそうだ。

何が起こったのか?

後から聞いた話では、倒れた時の現場の気温は実測で35℃だったそうだ。木が生い茂って風通しが良い高台の観光スポットである。どう考えても周囲より涼しい環境なので、通り抜けてきた市街地や坂道はそれ以上の高温だったのではないだろうか。私はそこを「暑くない。汗も出ない。」などと思いながらノコノコと歩いていたのである。

「暑いにもかかわらず暑く感じない」という現象はお年寄りに多く、加齢による衰えで避けられないそうだ。もちろん私の年齢はその領域には全く達していないのだが、あの日は間違いなく暑さを正しく感じることが出来ていなかった。また「暑いにもかかわらず汗をかかない」のはIII度の熱中症の代表的な症状で、放置すれば大変な結果に繋がる。出発した時点で既に熱中症だった=やはり回復していなかった?

前日までの無理が祟ってダメージが蓄積した結果、神経も汗腺もマトモに働かない状態だったのだろうか。「完全復活」だと誤認識する程度に、思考も異常検知能力も落ちていたのか。とにかく体温に近い気温の中、暑さも苦痛も自覚せず、普通に動き続けることが出来てしまった。暑さ対策を欠かさなかったとはいえ、熱中症の体で炎天下を3時間歩き、仕上げに長い階段を登ったわけだ。これはダメかもね?(ダメでした!)

どこかで気付いて引き返す事ができなかったか?まだ解が見いだせていない。「暑いのに汗が出ない」なら異変だろう。しかし「暑くないし汗も出ない」のは普通ではないか。「無理をした」以外のミスがあったとすれば、事前に把握していた予想最高気温と体感温度の食い違いに疑問を持たなかった点である。真夏の11:00に出発したのだから、いつまでも「まだ午前中だから涼しい。」と考えていたのは能天気も良いところだ。

最後に

現場の方、救急隊の方、病院の方、妻ちゃんにはお詫びとお礼を申し上げたい。今後はより慎重に行動したいと考える次第。それと同時に「おかしい時には遠慮せず周りを頼るべきだ」と思う。仮に単独行動の時に誰も居ない場所で似たような状況になって「その場で休む」とかやってたら、ヘタすると死ぬんじゃないだろうか。本人は本気で暑くないつもりだったので「実は35℃だった」というのはちょっとしたホラーである。

蛇足

現地の方のセリフが関西弁であることからも判るように西の方での話でした。思い出すほどに、人の優しさが身に染みるm(_ _)m

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往路の車内にて。五平餅を食べるために30kmほど長い経路をチョイスした辺り調子こいてたよね。