あるラジオで天文学の先生が色々しゃべっていたんだけど、星座は「太陽や惑星が天球のどの場所にあるかを表すための住所みたいなものだった」んだそうな。
天文学的なモノは好物だけど、星座には全く興味なかったんだよね。だって「これが○○座です」とか言われても、「全然○○には見えないじゃん」と思うものばかり。「古代人はどんだけヒマで妄想好きだったんだ...」と子供ながらにシラちゃった。
でも「住所みたいなもの」だとしたら、多少こじ付けでも名前をつけるよね。国分寺と立川の間にあるからという理由で、隣町が「国立」(「くにたち」です。念の為。)という名前だと知った日にはガッカリしたけど、数ある星座の幾つかも「そういう類」だと思えば納得できる。
良く「太陽が○○座にいる」なんて言い方をするけれど、先に星座ありきでそういう言い方をするようになった、という先入観があった。実はそれは逆で、そういう言い方をするために星座が作られたということなんだ。
なるほど、星座は妄想ではなく必要から生みだされた、科学の歴史の重要な1ページだったのか。ただただロマンで星座を語るのは、理系人としてはナンセンスなんだねぇ。長年のモヤモヤが吹っ切れたので、今日はグッスリ眠れそう。てゆーか、これもしかして常識だった?(苦笑)