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新潟市でIT業を営むおっさんのブログ。

コロナ禍における旅行の在り方について再考する。越境は本当に悪なのか?

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まず大前提として、新型コロナは「ただの風邪」ではない。事情がなければワクチンも打った方が良い。これはもう単純な確率論である。

さて、引き続き県境を跨ぐ移動を控えるよう要請されているが、その意味はあるだろうか?越境制限とは、要するに水際対策である。あるエリアで発生した感染症がエリア外に広がるのを防ぐ事を目的とする場合と、エリア外で広がった感染症をエリア内に持ち込まない事を目的とする場合がある。いずれにしても、現在主流のデルタ株は既に全国に広がった状態なので、県境で水際対策を行う理由は見当たらない*1

例えば、この状況下では「近所で10人とすれ違う」のと「出かけた先で10人とすれ違う」のではどちらが感染拡大のリスクが高いだろうか?流行しているウイルス株はどこに行っても同じなので、仮にそれぞれの地域の感染率が同じだと仮定すればリスクは同じだ。人の心として「他所からウイルスを持ち込んでくれるな」「他所のウイルスを持ち帰ってくれるな」という気持ちは当然なのだが、理屈では同じなのである*2

もちろん、移動の結果として「生活圏が違う者同士が集まって騒ぐ」としたらそれを防ぐ意味は大いにある。会食や集団形成が感染の要因なのは間違いないし、例えば帰省して久々に会えばお酒が進んで話が弾むのは無理からぬ。また「過密都市圏への移動」も防ぎたいものだ。密を避けられない場所に行くこと自体が高リスクだし、ただでさえ減らせていない人流を増やす方向に働いてしまう。

要するに「移動先でどう行動するか?」と「どこに移動するのか?」の2つが問題なのである。越境するか否かはリスクの高低には関係がなく、手段と目的地を選べば移動する事そのものにリスクがあるという訳でもない。私は以前GoToトラベルを称賛しているのだが、それもこの考え方が根底にあるからである。

「帰省」は「生活圏が異なる人に会いに行くことが目的」なので当然宜しくないのだが(親戚大勢で集まったりせず、親に顔を見せて墓参りする位ならリスクは低いと思うのだけどね。なぜ宴会がセットになってしまうのだろう。)、同じ「旅行」であっても「生活圏が異なる人が集まる旅行」や「宴会が目的に含まれる旅行」と「生活圏が同じ人だけで行く新しい生活様式に沿った旅行」は分けて考えなければならない。

という訳で、

・生活圏が同じ人(同居人か頻繁に往来がある家族)のみ。
・基本的にマイカーで移動する。
・過密都市や離島など極端な環境の場所に行かない。
・可能な限り密を避ける。
・外食は店を選び時間をずらす。
・テイクアウトを活用しお酒は部屋で楽しむ。

といった基準に沿いつつ、GoToトラベルが休止となった後も(デルタ株の普及期を省いて)旅行を継続している。このご時世、私の考え方や行動が受け入れられない方も多かろう。余計な事を言わずに黙ってやってれば良いのに!と思わなくもない。しかし、Twitterで旅行アカを批判してるような人を見かけると「旅行=宴会」みたいな価値観の持ち主なのか議論が嚙み合っていなかったりするのだ。ここで、強く「旅行≠宴会」だと主張しておきたい。

コロナ以降、旅行先で酒盛りをして騒ぐ賑やかな方々に遭遇して嫌な思いをしたことは皆無である。居酒屋などは避けているし、ツアー旅行が壊滅状態である事も大きな理由だと思うが、観光地の食事処や宿泊施設の食堂などでも同様。当然のようにマスク・消毒・密回避・黙食の基本も守られている。コロナ禍において旅行をする者同士、大切なことが自然と共有できていると感じるのである。

楽しい時間を過ごさせて頂くついでに、多少なりともこの困難を乗り越えるための一助になるなら最高だろう。

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*1:物理的に隔離されていたり、医療体制が脆弱でゼロリスクが求められる離島や過疎地は例外で、水際対策が常に重要だ。

*2:もちろん実際には地域差があり、感染率だけでなくワクチン接種率や住民の年齢などによっても結果は違ってくる。だが、それを国で区切るのか?都道府県で区切るのか?市町村区で区切るのか?という違いなのである。何所に居ても明日すれ違う誰かがノーマスクの感染者である確率など運次第。自分が感染源となる場合も、対象が地元の人と旅先の人ではどちらが罪深いのか。全く外出もしない生活となれば話は別だが、それなりに外に出る日常生活を送っている場合には大局的に見て変わらないと言って良い。